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パッション・フォー・ミッション

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- パッション・フォー・ミッション (牧野 直之)
(36:33)

 

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パッション・フォー・ミッション
―感謝と喜びと充実の人生への招き―

読者へ、著者の宣教師としての生き方や働きを通じて、日常に生きる私たちにも様々なチャレンジが与えられます。正に副題にあるように、感謝と喜びと充実の人生への招きの書です。ご自分の為、プレゼントにも最適で、心よりお奨めします。

定価:本体400円[税別]
著者:牧野直之
ソフトカバー: 72ページ
ISBN-13: 978-4-909170-01-9
商品パッケージの寸法: 17.7 x 11 x0.5 cm






 

内容紹介
本書は、各章末に読者にともに考える機会を与えてくれ、神学校における海外研修の備えのためのテキストとして使用することもできる。読みながら、考えさせてくれることは、宣教師となって海外へ出て行くことだけではない。主に置かれている地でどのように仕えるか、というキリスト者としての生き方の本質を問うことでもある。

目次
第1章 なんで私が宣教師に?!
第2章 英語とジョーク
第3章 宣教師になってタイ国へ
第4章 まあ、まあ、いいじゃないか
第5章 エリートたちに囲まれて
第6章 宣教師になってタイ変だったこと
第7章 OCスーパー開店
第8章 アジア人と国際人
第9章 子供たちは?
第10章 生きることはキリスト、死ぬことも益

著者紹介
牧野直之(まきの・なおゆき) 1942年和歌山県生まれ、東京育ち。北海道大学理学部大学院、ディサイプルシップ・トレーニング・センター(シンガポール)卒業。 中学生の時に信仰に導かれ、Hi-B.A.(高校生聖書伝道協会)、KGK(キリスト者学生会)で信仰を養われる。1974年OMF宣教師として伊豆夫人と共にタイ国に行き、主に大学生、高校生の間で伝道した。1988年OMF新入宣教師研修所の所長になり、1994年にOMF日本委員会・総主事に就任。2003年に日本福音キリスト教会連合、ぶどうの樹キリスト教会(東京四谷)の牧師となる。2013年牧師を引退し、現在は祈りに時間を費やす生活を中心に、諸教会での説教奉仕をしている。ジョークをこよなく愛し、多様な人間関係の中で個人伝道にも励んでいる。若者に宣教のチャレンジを与えるメッセージを語る説教家でもある。2000年沖縄で開かれた日本伝道会議での説教者の一人。

推薦のことば

北栄キリスト教会 牧師・北海道聖書学院 院長
松元 潤

 パッション・フォー・ミッションというタイトルの通り、私にとって牧野師はどんな時にも宣教の情熱を失わない人である。主の大宣教命令を語るだけなら誰でもできる。しかし、その人がそれを生きていないならそれは真の情熱ではない。その人の語る告白がいかに本物であるかは、炎の中で精錬される火の中から輝き出る金よりも尊い試練の中で証明される(Tペテロ1:7)。牧野師の宣教に対する情熱は、試練の中でも失われることがない。順境も逆境も牧野師にとっては福音を証しし、宣教する機会だった。それは本書の最終章「生きることはキリスト、死ぬことも益」に記されている牧野師自身の「この本のサブタイトルを『感謝と喜びと充実の人生への招き』とした。しかし、これは宣教師の人生はいつも順風満帆だということではない」という告白に現わされている。

 牧野師は本書にある通り、大学時代と伝道者としての最初の訓練のときを北海道札幌において過ごした。その札幌にある私が現在牧会するJECA北栄キリスト教会が牧野師の母教会である。牧野師の行くところ、笑いは絶えない。多くの人たちは牧野師の生み出す明るい空気を単純に享受しているかもしれない。私も正直、初めて牧野師のメッセージを聞いたときは、笑いっぱなしで何を聞いたか内容を忘れてしまうほどだった。しかし、ある時から、牧野師の笑いの中に信仰に裏打ちされた人生哲学を感じるようになった。自分自身を笑うことは、自分を正当化する人間にはできないことである。牧野師のジョークの中に、謙遜やゆとりによって生じる他者への思い遣りや自身の自己吟味を感じるようになったのだ。それが第2章 英語とジョークの中に「笑いは、しばしば自分に見えない自分の姿を、外から客観的に見ることができるように新しい視点を与えてくれる」と含蓄ある言葉で記されている。ここに、逆境においても主に従う秘訣が隠されているのではないだろうか。

 私が奉仕する北海道聖書学院は、隔年で海外研修を授業の一環としている。本書は、各章末に読者にともに考える機会を与えてくれ、神学校における海外研修の備えのためのテキストとして使用することもできる。読みながら、考えさせてくれることは、宣教師となって海外へ出て行くことだけではない。主に置かれている地でどのように仕えるか、というキリスト者としての生き方の本質を問うことでもある。異文化を学ぶことは、私たち自身の視野を広げる。それは、多様な人たちに福音を伝えるべき私たちの宣教力の養いともなるのではないだろうか。「私はだれに対しても自由ですが……すべてのことを、福音のためにしています(Tコリント9:19-23)」というパウロの告白が、牧野師の宣教の足跡とも重なる。