本著は、救いが受ける豊富な恵みを知る「新約聖書編」と、患難が人に与える意義を探究した「随想編」の二編に分かれている。
人は誰も、生気溢れて気高く、天駆ける人生を送る権利をもって生れてきた。そのためには、自分の自由を奪っているものから解放され、人生の意味を知らせる患難から道と真理と命とを知らされて、力強く邁進していくべきである。
知慧とは、神の国へ到達するために従うべき道であり、時代、地域に捕らわれず、どこでも誰にも通じる絶対的真理であり、成長させ活動を促し統一を保つ命である。この三つはわたしであるとイエス・キリストは言われる(ヨハネ十四6参照)。人はこの知慧に従って生きるならば、人としての本物の生涯を歩むことができる。
本著では、この知慧に関する基盤として、神の御旨であり約束である御言葉を根拠に、多用した。
患難は人の品性を高貴に練り上げ、自分が何者であって、この地上に生きる間に何をなすべきかを知らせる。患難を通らずして天賦の才能を伸ばされた賢者はなく、苦難を通らずして偉業を成し遂げた天才もない。苦難にはそれぞれの意味がある。そして患難は真の人間性を育て、霊の眼を開かせて神へと導く。本著後半では、人生のいろいろな場面で遭遇する苦難が私たちに何を悟らせようとしているのかを探った。
以上のごとく患難は人を育てるから、人生のどこかで患難を経験させてもらえなかった人は、得られる人生の幸いを制限された人であると言える。